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🍀〜語られた御言葉と証の分かち合い〜みっきー🍀‪


クリスチャンとして生きていくこと

みっきー


1パーセント。これは、日本でクリスチャンの占める割合です。生まれた時からクリスチャンホームで過ごしてきた私にとって、神様を信じることは当たり前で、自分がクリスチャンという少数者であることに気を留めていませんでした。日本に無神論者が多いことを知ってからも、自分がクリスチャンとして生活していれば、信じる人は自然と増えていくはずだ。神様を知らない人も、教会のメッセージを聞けばいつかは信じる。そう思っていました。

伝道することや、クリスチャンとして社会で生活していくことの難しさを目の当たりにしたのは、大学に入学してからです。親しかった友人が、お酒や遊びに夢中になり、それで満たされ、失敗さえも肯定的に楽しんでいる。自分らしさや自信を手に入れ、忙しさの中で神や自己について深く考える時間を持たないまま、なんでもできるという自由な環境を生きている。そんなノンクリスチャンたちの姿を目にする機会が多くなりました。

私は、自分がクリスチャンであるということをオープンにしています。否定されることも拒否されることも少ないからです。むしろ、興味を持ってたくさん質問してくれる人もいます。しかし、「あなたはそういう生き方なのね」という結論で終わる、この個人主義的な距離感にかえって傷つくのです。なぜ、私の信じている神様が、相手にとっても関わり得る存在として受け取られないのだろうか。神は必要ないと言う人もいますが、そもそもなぜ必要ないと感じるのか。そんな答えのない疑問が絶えませんでした。自分がクリスチャンとして生きることはノンクリスチャンにちっとも影響していないのではないか、自分にも神様無しでうまくいく人生があったのではないか、という虚無感も覚えるようになりました。

そんな中、KGKの活動で、「日本人のクリスチャンとノンクリスチャンの持つ信仰の違い」というテーマのメッセージを聞く機会がありました。神様は人間を礼拝するようにつくられた。だから、誰しもが、神、完璧主義、推しといった、なにかしらの信仰を持っている。神様を知らなくても生きていける社会の中で、結局はみんな何かを信じている。私はそれを聞いてとても納得が行きました。


「そんなものを恐れるな。害になることも益になることもないからだ。」

(エレミヤ書 10:5)


「彼らはみな間抜けであり、愚かなことをする。空しい神々の訓戒──それは木にすぎない。

銀箔はタルシシュから、金はウファズから運ばれる。これは木工と金細工人の手のわざ。これらの衣は青色と紫色、すべて名匠の作。

しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その御怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。」エレミヤ書10章8−10節

(エレミヤ書 10:8-10)


メッセージの中で語られた、このエレミヤ書の箇所を読み、自分の信じている神様は本物で真理であると確信を持ちました。ノンクリスチャンが信じているものには、不確実性や不安定な部分があって、それでは本当に心の穴を埋めることはできないのです。


「私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。」

(ローマ人への手紙 8:17-18)


クリスチャンとして生きていく中で、苦難はつきものです。神様に信頼することやみことばに忠実に生きることの難しさ、真理を知らない人たちへの失望感があります。でも、イエス様も苦難の中を歩まれていたことを忘れていけないと気づかせてくれたのが、この御言葉です。神様が苦難を共にしてくださること、そして、失望に終わるのではなく永遠の命が与えられること。そのことは、つまずきを覚えていた私にとって大きな希望となりました。

もちろん、神様を必要としない人たちを見かけた時の虚無感が完全に消えたわけではありません。しかし、この人たちには必要ないと開き直るのではなく、そういう人たちにこそ本当の神様に出会ってほしいと願うようになりました。希望を持ってクリスチャンとしてキリストの光を放っていく。そんな人生を送っていきたいです。

 
 
 

1件のコメント


Joshua Book
Joshua Book
1月30日

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