top of page

🍀語られた御言葉と証の分かち合い〜まっちゃん〜🍀

クリスチャン二世の苦悩と死、そして復活


はじめに

 「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリントⅡ5:17)とあるように、クリスチャンは皆新しく生まれた者だといわれている。これを新生(しんせい)と呼ぶが、その経験は、ノンクリスチャンの家庭から、神様を信じ始めてクリスチャンになった人(クリスチャン一世)に多い。一方で、クリスチャンの家庭に生まれてクリスチャンになった人(クリスチャン二世)の中には新生を体験することなく「クリスチャン」となる者が少なくないように思う。そのような「クリスチャン」はイエスによる救いの意味が本当には「分かっていない」ことがある。それでもいいという考えもあるだろうが、救いの意味を知らないことの生活上の悪影響は大きい。


クリスチャン二世の生い立ち

 かくいう私もその一人であった。母の胎にいるときから教会に通い、高校二年生の春に洗礼を受けたが、思い返せば当時の私は十字架と救いの意味を理解していなかったし、「神様を信じる」という言葉の意味さえよく分かっていなかった。そして、そのまま受洗に導かれた。受洗前の教会は、歌やらゲームやらで楽しかったのでよかったが、洗礼を受けた後は教会が楽しくなくなった。楽しくなくなったことには多くの原因があったと思うが、救いの意味を理解せずに受洗してしまったことが大きな要因だったと思う。

 いくつかの例をあげれば、①周りの喜びを理解できないこと、②信仰を期待されている苦痛、③教会への所属意識の喪失などがある。


①周りの喜びが理解できない

 私は、賛美が好きであったが、歌詞に「ハレルヤ」と出てくる曲だけは嫌いだった。当時の私には「ハレルヤ」と言う人が気味悪くて仕方がなかった(言葉はキツいですが、新生前に感じたことであることに免じてお許しください)。それは、彼らが喜んでいる理由を知ってはいたが、私には「分からなかった」からである。

②信仰を期待されている苦痛

 私は昔からクリスチャンであることを求められているように感じていた。受洗後は一層その期待に応えなきゃと頑張っていた。ただ、この期待はとても苦痛だった。礼拝では感謝祈祷の奉仕があり、みんなの前で祈らなければならないのだが、私はこれが大嫌いだった。信仰的によい祈りができなければみんなに失望されてしまうのではないかと恐れていたからだ。お手本通りの「よい祈り」を頑張って考えて祈ったが、毎回心臓の音が聞こえるんじゃないかと思うほど緊張していて、それがいつも苦痛だった。

③教会への所属意識の喪失

 幼い頃から育った教会であったので、私は教会のみんなから実の子供のように可愛がられてきた。しかし受洗後、信仰の喜びをみんなと共感できないでいたり、信仰への期待を感じたりするなかで、自分はここにいるのが相応しいのだろうかというような違和感を何年も抱えながら過ごしていた。


 それからというもの、教会には行き続けたが、それはもっぱら奉仕の責任感と教会の人から失望されたくないという動機によるもので、教会ではよい信仰者を演じるが、教会を一歩出れば信仰者とはほど遠い生活を続けていた。


苦悩

 大学に進学すると一層信仰の道から遠のいた。様々なところから得た知識によって聖書を疑うようになっていった。そのころになって私は初めて自分の信仰が他の教会員と違うことに気がついた。なぜ彼らは神様を信じることが出来るのかと不思議に思った。2年の春〜夏にかけての大学生活は楽しいものだった。新しくできた大学の友達と毎晩のようにポーカーに興じたり、酒を飲んだり、カラオケで夜を越したりして遊んだ。

 しかし、そんな楽しいばかりの日々も長くは続かなかった。夜遊びを続けて生活習慣が乱れたのが原因だろう。漠然とした不安の中で眠れない日々が続いた。スマホを眺めて3時〜4時ごろまで起きていることはザラで、時には朝日が昇るのを見てから慌てて眠るなんてこともあった。朝も起きられなくなって大学も休みがちになり、昼頃起きてからも無気力にスマホを眺めていることしかできなかった。そんな日々が1年ちょっと続いた。

 同じ頃に身体にも異変が起き始めた。肌が荒れ、乾燥し、ぼろぼろと剥がれ落ちる病にかかった。極め付けは患部から液体が滲み出て、ニオイを放つようになった。親や周りの人に心配をかけたくなかったし、なにより自分でこの現実を認めたくなかったので、私は外面こそ平然を装っていたが、内心はあらゆる自信と自尊心を失ってしんどかった。

 3年のある秋の日、とうとう私の中の何かが壊れた。静かに迫りくる明日への不安の中で何かしなきゃと焦る気持ちがあるにも関わらず、大学のために起き上がることも出来ず、ただ寝て食べてスマホを眺めるだけを繰り返し、私を苦しめる皮膚病を言い訳にしてみても何か好転するわけでもなく、そんな自分が嫌なのか、この現実が嫌なのか、何が苦しいのかも分からなくなって、真夜中、真っ暗な部屋の中で私は苦しみのあまり、声をあげて泣いた。そして、神様に泣いて祈った。

「あなたが神なら、どうして私をこんな目に遭わせるのですか。22年間休まず教会に通い続けたのに、どうして私にはあなたのことがちっとも分からないのですか。あなたが本当に神なら、私の前に現れてください。そして、私をこの地獄から救ってください。」

 その夜、神は現れなかった。


 それからしばらくしたある冬の日、母から「いっしょにディボーションをしてみないか」と誘われた。前日の夜も遅く、その日もまた大学に行けずに暇を持て余していたので、母の誘いに乗ってみることにした。読んだところはヨハネ5章。入れば病が癒えるとされる池のほとりに38年間病気で伏している人がおり、イエスに「よくなりたいか」と声をかけられたその病人は池に入れないと言い訳をしたが、イエスは構わず「起きて、床を取り上げて、歩きなさい。」と言われ、その人は治って歩いた、という話。

 これを読んだ時、妙な感じがした。私はこの38年間床に伏していた病人と同じなんじゃないかと思った。私は22年間神様のことがわからない病にかかっているんじゃないかと思った。眠れず、起きれず、床に伏して泣いている。そんな私に神様は、「よくなりたいか」と声をかけてくださっているんじゃないかと思った。神様は今この御言葉を通して、私を招いておられるんじゃないかと思った。そう思ったら涙が溢れた。今でもどうして涙が出たのか、言葉で説明することができない。嬉しさとも喜びとも形容し難い気分の高揚に、とにかく涙を流すしかなかった。

 この時、私は神様に賭けてみようと思った。そして、神様に従おうと決意した。神様に従うとはどういうことなのか、いまいち分からなかったが、とりあえずイエスが「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われたように、毎日頑張って起きてみようと決めた。

 この時、私は多分死んだのだと思う。


新生

 それからというもの、私はあらゆる点で大きく変わった。身体に現れた変化では、皮膚の病が癒えた。身体中を蝕んでいた皮膚病はそのほとんどが消え去り、今や指先に残るだけである。生活に関していえば、徐々に眠れるようになった。朝方まで眠れなかったのが、だんだん早く眠れるようになり、今は遅くても1時には眠るようになった。また、日常で祈れるようにもなった。公同の祈りも信仰の試験の場ではなく、他の信徒と共に祈る場となり、自分の言葉で祈れるようになった。

 そして、最も大きな変化は聖書のことが「分かる」ようになったことであった。礼拝などで何度も目にして慣れ親しんだ聖書のことばが、私の心に切迫するようになり、その言葉の強さを肌で感じるようになった。御言葉を聞けば、理解すると同時に、言葉にできない感動の波が押し寄せ涙が込み上げる。クリスマスの御言葉を聞いて涙を流したことは人生で初めてだった。心の内から湧きあがる感動によって揺さぶられ、そして、黙っていればどうにかなってしまいそうな心を守るために「ハレルヤ」と呟くのである。

 「分かる」ということは私にとって偉大なことだった。私の22年間が無駄にならなかったからである。かつて読んで知っていた聖書の話が次々と「分かる」ようになり、まるで人生に散らばる無数の伏線が回収されていっているかのような驚きの連続を経験している。

 まもなく、私が主に出会って一年となる。今を振り返って言えることは、「私は確実に変わった」ということであろう。それは、古い私が死に、完全に新しい私が古い私の上に生きているということなのかもしれない。そうして今日も、聖書の言葉に目を潤ませながら、不思議と湧き出る活力によって生かされている。


 私を変えてくださった主の御名が、地と天で永遠にほめたたえられますように。

 
 
 

コメント


​KGK東海地区©︎2025

bottom of page