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🍀証や語られた御言葉の分かち合い〜🍀

「What would jesus do?」        

 修文大学4年  川瀬 ひなの

 

マタイによる福音書10:38

自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

 

私は春期学校が終わってから一つの葛藤がありました。それはクリスチャンとして歩むとはどういうことなのかです。日常生活を送る中、どうしても*ノンクリスチャンと比べてしまう自分がいました。クリスチャンではない方が楽なのではないか、罪に気付かず生きる方が楽ではないかと思ってしまい、そんなことを思ってしまう自分が嫌いになり、*ディボーションもできず、聖書も開らく気になれず、どんどん負のループに陥ってしまいました。どうして神様はクリスチャンになることをとても喜んでくださっていたのにこんなにも私たちに試練を与えるのだろう、わかりやすい導きを与えてくれないのだろうと思いました。その中でも唯一KGKの子とディボーションをシェアを行っていたグループの通知と*学内聖研だけは見ていました。今思えば、その子たちとの関わりと祈りと導きのおかげで最近またディボーションをおこなうことがかろうじてできた気がします。そのときふと目に入った御言葉がこのマタイ10:38でした。ここで一緒に書かれていた言葉が「神を愛するなら犠牲が伴う」ということです。正直このとき思ったのは、え、神様信じたことを喜んでくれてないの?クリスチャン優遇はないの?でした。でもその後も読み進めていき気付かされたのは、イエス様がそういう道を歩まれたから、十字架を背負って従うことを歩まれたからそれを私たちも示されていることです。神様は私たちに聖霊を与えてくださっていて、もう既にきよくしてくれています。その事実をもう一度知った時本当に神様は、イエス様と同じように我々を自身の子供に加えてくれたこと、そしてそのことを知っていながらどんどん適当に扱ってしまっていた自信の姿に気づきました。けれども、イエス様は救い主ではありつつ、まるで私の兄のような存在として今日も隣におられます。私は御言葉を通してその愛を感じました。KGKのみんなに憧れ、ここまで導かれたと思っていたけれどそうではなく、イエス様がその背後にいてくださったことを知りました。なので失望や選択にあったときイエスなら、どうするかを考慮して神様に聞き従っていきたいなと思えました。その神様の前に戻してくれるKGKと友を与えてくれた神様に感謝してこれからも歩みます。


*ノンクリスチャン:キリスト教徒では無い人、キリスト教の信仰を持たない人の事です。


*ディボーション(devotion):英語のdevote=「捧げる」「献身する」の名詞系になっているものです。個人的に祈り、聖書を読むことを通して、神様と向き合う時間を指して使われています。


*学内聖研:学内で行われる「聖書研究会」の略で、KGK活動のひとつです。学生たちが学校で、一緒に聖書を読む時間をもっています。

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